2010年8月15日日曜日

夏休み(笑)

ブログ滞っちゃったなあ。
約一ヶ月半。
トップ写真だけは更新しました。調査で黒木に行ったときの、我ながらgood shotです。

僕はまじめに研究に従事してました。

レポートも書きました。

プレゼンも頑張りました。

めんどうだったけどバイトも頑張りました。

そして夏休みが来ました。別に来るときの足音とか全然聞こえなかった。急に、けど静かにそこまで来てた。

何しようかな。
あーーーリア充してぇ、リア充!
男女混合で海とか行ってドキドキしたい。

最近、自分の思考の幅が広がったっていうか、良くも悪くも、一皮むけたなって感じです。
「〜のために生きる」
「〜を守る」
「一生を〜に捧げる」
とか、そういう考え方こそ至上だと、思ってた。

けど、なにそれ?馬鹿馬鹿しくない?

自分は自分。

比類なき、たった一人の自分。

自分の好きに生きるのさ。

「苦しみの先になにかある」
「苦労してこそ成長できる」
そう言い聞かせてきた。
けど、そんな窮屈に考えんでもいい。
だって、苦しい、きつい、痛い、そういうのみんな嫌い。避けたい。

融通無碍、上善如水。

2010年6月30日水曜日

どうしようもない気持ち

自分どうしようもないなぁ、と最近思う。
いろいろと鬱憤はあるけど、ぶつける先がわからない、と言うか、ぶつけるべき相手はわかるような気はするが、どうやってぶつけるかがわからない。

ただのわがままだと言われてしまえば、それはそれで立つ瀬が無いのだけれども。いい歳をして、こんな悩みを持つこと自体が、どうかしているのかもしれない。僕はこの上ない、あまのじゃくかもしれない。

身近な例をとってみるならば、就活、というものについて。
大学生たちは雇用不足に悩み、より多くの会社の試験を受けて、どこかしらに就職しようとする。ただ、その過程で行われることが、僕にはとても気にくわない。どうすれば会社は自分に魅力を感じてくれるか、コミュニケーション力をつけるにはどうすれば良いか、自分を見つめなおす?ためのセミナー、それにあのSPIなる奇怪なもの。そのどれもが、目に見えない何かに、自分の魂を売っているようにしか僕には思えない。そんな風に、誰かが求める自分をつくり上げて、一体なんになる?自分は自分だ。この世で並ぶもののない、比類のない自分だ。
「私は、御社に就職いたしましたら、これこれの能力でもって、必ず貢献できると考えます」
笑わせるな!そんなのは嘘だ!

自分は自分のためにあるのだ。もちろん、会社に入って働くことが、その自分への道だとする考え方もあるだろう。だが果たしてそうか?誰かに認められることで確立する自分など、これほど安っぽいものはあるまい。自分については、自分で認めるより他に道はないのだ。僕は誰かに認められたり、褒められたりするために、働きたいとは思わない。だが会社に於いては、会社に尽くすことが最上の美徳だ。そのことを、わかっているふうにやらなければ、会社ではやっていけないのだ。そこでは、自分以上に会社が優先されることになる。そんなのは嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!
僕はこれまで生きてきて、自分を心から認めたことはない。誰かに認められたときでさえ、どこか心が空虚だったりした。私は自分で、この自分を、両手を広げて褒めてあげられることを望む。そんな瞬間が来ることを望んでいる。だから、富を築けなくともいいし、幸福な家族が持てなくともいい。そして誰にも媚びることなく一生を生きて行きたい。そのために、何事にも縛られたくない。たいそうな肩書きもいらない。生涯、一人の個人でいい。自尊心と、自己中心は違う。天と地ほどに違う。この天地に、守るものなく、縛られるものもない、ただの自由な身体。それを私がどんなに焦がれているか。

社会に流されたくない、とは誰もが思う。だが社会で生きていくには、社会に流されなければならない。
ならば他の流れを掘り当てるまでだ。

2010年6月17日木曜日

幕末の話

幕末の話をします。

幕末にはずいぶんと過激な人々が大勢いました。薩摩しかり長州しかり。水戸もまたしかり。そうそう、新選組も。動乱の時代にはヒーローと呼べる人がたくさん出てきておもしろいけれども、やっぱり現在もドラマや小説でヒーロー扱いされるのは、坂本竜馬、西郷隆盛、高杉晋作、近藤勇、などなど。いわゆる志士と呼ばれる人は数え切れないほどいたんだろうけど、やっぱり竜馬と晋作だけは格が違うと思います。この二人はもう何と言おうか、でかすぎる。奇跡です。僕からは距離が遠すぎて、何にも言えない気がします。でも偉そうに、ちょっとだけ語ってみます。

二人の共通点。それは、権勢への欲というものがまったくと言っていいほど無かったことです。竜馬が新政府の人事案を西郷に見せたとき、竜馬の名が入ってなかったことを不審に思った西郷が、その旨を尋ねると「世界の海援隊でもやりますかな」と竜馬が答えたというエピソードはあまりにも有名です。これは『竜馬がゆく』の中で司馬遼太郎さんも触れておられることですが、どうも竜馬は船と海が好きでしようがなかった。その自分の大好きなことができるような世の中を作りたいがために、薩長連合や大政奉還といった大仕事をやってしまった感がある、ということです。この点、竜馬はどこまでも純真無垢、天衣無縫な青年だったでしょう。
一方の晋作はどうでしょう。晋作は長州の上士階級の出身だったこともあり、藩内ではたびたび重要な役職についています。一時は政務役という、首相のような位置にあったこともありました。ですが晋作は、せっかく高官に就いたのに、どれも短期間でやめてしまいます。詳しいことは割愛しますが、時勢の成り行き上やめなければならなかったこともありますし、自分から役職を蹴ってしまったこともあります。奇兵隊創設の場合もそうで、作るだけ作ってしまって、具体的な管理運営はあっさりと山県狂介に一任してしまうのです。このようなときに晋作が抱く感慨というものは、一種の厭世観とでも言えましょうか。多少ナルシスティックな面もありますが、それは『方丈記』から続く、日本の知識人の代表的な姿勢でもあります。ただ晋作の一筋縄ではいかない面白さは、彼が「自分は誰よりも長州藩と毛利の殿様に忠誠の篤い臣だ」と自認していたことです。この点については、また機会を別にして論じてみたいと思います。
晋作は多くの漢詩を残しており、詩人としても優れていたことをうかがわせますが、その詩の内容は、例えば世を捨てた自分を笑い、どこか楽しんでいるような、多少キザっぽいものも多いように思います。この点、同じ「勤皇の志士」といえども、藤田東湖や武市瑞山、それに彼の師であった吉田松陰とはずいぶんと異なった人物でした。要は、イデオロギッシュでないという意味で、幕末的な性格が薄いのだと思います。

以上、まことに大雑把にではありますが、竜馬と晋作について比較を試みました。まとめたいと思います。幕末という一時期を真ん中に置くとすると、竜馬はそこよりも進んだ位置、つまり現代的(近代をも飛び越えているという意味において)であり、晋作はそこよりも戻った位置、つまり、より中世的・封建的であったと言う事ができるでしょう。しかし二人の仕事だけを見るならば、それは倒幕ということに尽きるのであり、さらに言うならば、日本の近代国家への発展を決定づけたのでした。
幕末の動乱は、ひとつの思想闘争だと言えるでしょう。誰もが尊王攘夷の思想に染まり、旧体制と対決していった中で、その混乱を収束に導いた二人が、極めて思想の匂いの薄い人物であったということは、とても興味深いことだと思います。

ここまで話して思い出しました。実は僕は、幕末期に開明的な眼を持っていた、一部の幕臣たちの話をしたかったのでした。尊王でも佐幕でもない、もうひとつの立場にあった彼らを非常に尊敬してもいます。ですが思いもよらぬ方向に話がそれてしまいました。その話はまた次回にでもしたいと思います。

では、終わります。

2010年6月15日火曜日

いい空だったので

いい空だったんです。
このビルを、空に切って貼ったような一種のコラージュとも言えないでしょうか。
日は長いし、昼間のジメジメがうそのように、ひんやりした風が流れてきます。
この写真を見ていると、コンスタブルの風景画はやっぱりすごいなぁ、などと思うわけです。
角張ったビルはどことなく、ロシア構成主義の作品を想起させます。

今週も、デスク左手の資料の山をチラチラ見やりながら、宿泊で研究に専念しております。

2010年6月10日木曜日

研究室宿泊研究日誌6/10「神話について-試論-」

ふっと、ひらめいたんですが、
自分の中にある、どうしてもそれから逃れられないもの、乗り越えられないものを、「神」というのではないでしょうか。
やや堅い言い方をすれば、自分の中の超越的な何か、といったところでしょうか。

神、といえば、イエス・キリストを想起する人が多いのではないかと思います。キリスト教、いわゆる一神教における神というものは、人間が考え出した概念ではないかと思うのです。つまり、自分の中にある超越的な何かを感じてしまったとき、意識してしまったとき、神が生まれたのではないでしょうか。それは同時に、人間が自らに限界を定めたということでもあると思います。ここで言う限界とは、思考の限界です。考えるべき問題(社会でどう生きるか、どうすれば食いっぱぐれないか等)と、考える必要のない問題(今で言う哲学が扱うような問題)を区別したのです。そして後者の、考える必要のない問題は、「信仰」ということで一括りにしてしまったというわけです。その結果、人間は国家をつくり、様々な制度をつくり、科学を発展させ、戦争もしました。いくらか言い方を変えて繰り返しますが、一神教の成立=神の発見とは、人間が自ら(の思考)を抑圧する営みであったと言えましょう。そしてもし、このような成立過程を是とするならば、一神教においては厳格な信仰が求められることは必然的であり、それは極めて、権力と結びつきやすい性質を持つと言えます。

では、神話が語られていた時代、つまり一神教の成立よりも前の時代は、そのあたりどうだったのでしょう。神話には当然たくさんの神が出てきます。ですがこの神は、一神教の「神」とはその性質を全く異にするものでした。人間の思考を抑圧するのではなく、むしろ人間の思考の道具とも言うべき存在でした。風はなぜ吹くのか、川はなぜ氾濫するのか、収穫が少ないのはどういう訳か、そのような世界の諸問題を記述し、認識し、解釈するために、神という道具が用いられたのでした。その記述たるや極めて合理的なもので、自然科学の目が無い時代に、世界の摂理を理解しようとしていたことがうかがえます。何を以って合理的とするか、という問題ですが、神話のストーリーは因果律に満ちています。原因があって、結果がある。その結果が次の出来事の原因となる、というように。これはやや衒学的に言えば、「因果律の萌芽」とも、「パルメニデス以前の合理主義」とも言えましょう。ですから、神話を荒唐無稽だなどと笑うことは決してできないのです。神話が解決しようとした諸問題を「信仰」で括ってしまった一神教の方が、よっぽど荒唐無稽だと思います。神話というと宗教染みて聞こえますが、その実、神話はむしろ哲学に近い営みでしょう。中沢新一氏は、神話を「人類最古の哲学」というふうに言っています。


*この試論は、一瞬のうちに頭によぎった様々な考えを、どうにかこうにか整理したものであり、決して学術上の裏づけがあるわけではありません。間違いもあるでしょう。ご了承ください。*

2010年6月9日水曜日

研究室宿泊研究日誌6/8~6/9「移動生活」

6月とはいえども、夜はとっても過ごしやすい。風がツイーって。

さて、考えたことども。。。


ノマドについて。というか移動式生活について。けっこう前から考えていたことなのだけれども、やがて地球上には人間が住める場所はなくなる、だろう。
都市は廃墟になり、やがては砂漠と化し、あるいは海に沈む。宇宙に上がらない限りは、その砂漠化、海面上昇の魔の手から、逃げながら生活せねばならないようになるだろう。つまりモンゴルの遊牧民、中東のベドウィンのように、場所を転々としながら暮らすのだ。

思えば、人類のはじまりも、移動から始まったのではなかったか。温かい場所や、マンモスのいる場所を求めて、人は歩き続け、それぞれの場所に落ち着いた。われわれ現代人にも、数百年後はそれと同じ状況が訪れるかもしれないのだ。やや詩的に言えば、原始の人類の旅は、文明の始まりへと向かったものであり、将来われわれに来るであろうこの移動生活は、文明の終わりへと帰っていくものであるかもしれない。まるで、すべてを焼き尽くす炎から逃れていくように。だが忘れてならないのは、その炎を灯したのは他でもない人類だということだ。

宇宙ということを考えると、地球上で逃げ回りながら暮らすことは、迂遠に聞こえるかもしれない。だが私としては、果たして人間が本当に宇宙で生活することができるようになるのかどうか、極めて懐疑的にならざるを得ない。すべての人類が宇宙に移住するとすれば、それは人間という生きものを、ゼロからまた作ろう、というほどの労力が必要となるだろう。

以上、私は危機論者ではないが、われわれの先にこのような危機的状況が待ち受けているということは―語弊を恐れずに言えば―ごく普通のこととして気に留めておくべきなのではないだろうか。

2010年6月8日火曜日

研究室宿泊研究日誌6/7

家に帰らないと日記つけれないので、研究室のPCから記録をつけることにした。

とりあえず、籐椅子に関する資料にがっつりあたろうと思っていた今週。まとまった資料の無さっぷりに少し腰くだけに。これってさ、僕の研究テーマ「映画を通して」以前に、籐椅子のまとまった研究をすることが必要なんじゃないか?

家具史のいろんな資料をあたってみても、籐椅子に関する記述の分量はかなり少ない。
どうしたものか・・・
籐椅子が、椅子の中で特異な位置を占めることは確かだ。椅子は洋式のものなのに、籐椅子に関してはなぜか、日本人の感性にあう、とか、日本人が親しみやすい、という捉え方がされている。あまりにも自然に。素材的に、畳敷きの日本間にしっくりくることは、いくぶん抽象的にではあっても一応納得できる。
でも、具体的に、どのように日本に入ってきたのか、またそれを受容する過程で、どんな人たちが目をつけ、国産化にこぎつけていったのか。籐はそもそもインドネシア原産の植物で、日本で使用するとなれば、輸入しなければならない。小泉和子氏は、「籐椅子は戦前の日本で最も広く家庭に浸透した椅子だ」と述べる。材料を輸入しなければならないにも関わらず、日本人はなぜそこまで籐にこだわったのだろう?いや、この際こだわったことは事実として認めて、どのようにこだわったかを明らかにしなければならないのではないだろうか。


・・・っと、勢いで頭の整理をしてしまった。
6月といえど、夜の風は心地よい。この研究室も、まだまだクーラー無しで頑張れそうだ。ただ虫が気になる。今もディスプレイに羽虫がくっついているし・・・。3時くらいになったら一度シャワーを浴びて、仮眠。そしてまた資料を漁って、バイトに行こう。
以上。

2010年5月28日金曜日

無題

久々で研究室に泊まった。それも2連泊。


今週は本当に、本当に研究進めるのが滞った。というか、まだ始まったばかりで、うまいやりかたをつかめていないんだと思う。

要素を拾い集めて、カテゴライズして、さらにカテゴリー間の相関性まで探るとなると、これは時間がかかる。それに、映画というものを研究の媒体にしていると、やはり映画を見ないとはじまらない。
見ることに、一番時間がかかる。また、かなり昔の映画なので、モノクロで、俳優さんたちの顔も馴染みがぜんぜんなくって覚えられず、少々タイクツ。

研究室は、もう一人のメンバーも二日間ほぼ徹夜の状態で、夜通し一緒にいることになる。何か話すわけでもないが、こういうふうに同じ空気を吸うっていうことだけで、なんとなく絆のようなものを感じることができる。


こうして泊り込みで準備をしても、ゼミはいつもどおり、粛々と進む。
わがままかもしれないけど、無情、と思う。

2010年5月24日月曜日

ついてない日

嫌なことって、同じ日のうちに続けざまに起こるものですね。

今日はそんな日だった。

修論進めなきゃならんのに、思うように進まなかったり、
バイト中に、めっちゃ嫌な感じの問い合わせTELがあったり、
チャリで水たまりにつっこんでしまってカバンに泥がはねたり、
ひょんなことで友達と食い違って、不機嫌になってしまったり、


全体的に、歯車が噛み合わない日、というか・・・。

嫌な感じ・・・

第一、こんくらいのことで「嫌だ嫌だ」と思う自分が嫌だ。

一晩寝ても忘れられない性格だけに、なおさら、ね。

お引越し

他のブログから引越してきました。


アタマにでっかく写真を載せられるところがいいなぁと思ったからです。

2010年5月11日火曜日

はるかなるネーデルラント

先日、講義の中でオランダの話を聞かされて以来、オランダへ行きたいという思いが強まっている。
今まで、海外に行きたいとは思ったことがなかった。行く理由が見当たらなかったからだ。パスポートとか、面倒だし・・・。向こうで命を落とさないとも限らない。まぁ、そんなことは滅多にないのだろうが、身辺をまったく知らないという環境に身の危険を感じることは確かだ。ともあれ、死ぬ直前には白い米と味噌汁が食べたい。

そんな私が、オランダへ行きたくなった。ネーデルラントとは、オランダとその周辺地域を指す用語で、「低地の国々」という意味だそうだが、タイトルをネーデルラントとしたのは、なんとなく語呂がいいという理由だけだ。

私は一度も海外に行ったことがない。周りの友人たちからはしきりに、海外旅行をすすめられたり、誘われたりする。その度に、「日本もまだまだ捨てたもんじゃねぇよ」とか、「お金がなくって」などとはぐらかしてきた。実は面倒なだけなのだが。そんな私に、これは進歩の兆しか・・・!

オランダか、とふっと考える。そういえば私自身にとって、オランダという国はなぜか、幼いころから身近だった気がする。長崎にある、オランダを演出したテーマパーク「ハウステンボス」に、小さい頃よく連れて行ってもらったのだ。咲きほこるチューリップ、ゆっくり回る風車、運河のクルージング、そしておいしいチーズ(の試食)・・・もちろん、オランダに行けばその光景がそのままあるわけではない、ということくらい分かっている。それに、実際に聞かせてもらったオランダの話は、もっともっと魅力的だった。ワークシェアリングが非常にうまくいっていること、気温が30℃越えたら大学の授業が休講になること、学生はとても安い料金で国内の鉄道を乗り回せること、などなど。とにかく、日本よりも居心地が良さそうだ、と思っただけのことだ。


それはそうと、オランダという国は日本とつながりが深い。周知のように、鎖国中の日本と貿易をしていたヨーロッパ唯一の国なのだ。その関係かは知らないが、ライデン大学では日本の研究が特に盛んだそうである。かと言って、オランダ国中の人々がみんな、日本に理解があるというわけではないが。
ここで多少、自分の専門に話を引き付けると、オランダは、モダニズムの潮流において非常に重要な位置を占める芸術運動「デ・ステイル」発祥の地である。ドゥースブルフ、モンドリアン、そしてリートフェルトなど、巨匠たちが星の如く出た。水平と垂直、赤青黄の美学・・・それはまさしく、機会の時代、産業の時代の美学をもっとも先端的に表現したものだったろう。デ・ステイルが、ある時期以降のバウハウスの活動方針を決定づけたのは有名だ。

オランダの国土は、ほとんどがポルダーと呼ばれる干拓地だそうだ。まさに、自分たちで国をつくりあげてきたのだ。国「家」ではなく、国「土」を。人工の大地(と言っても、日本の埋め立て地のような味気ないものではないし、もっと歴史のあるものだが)の上で暮らす彼らは、どんな気持ちだろうか。
以上、オランダについての断章のようなかたちになった。

2010年5月9日日曜日

「公共」とは・・・

ある先生が講義で話していたことで、思うところあったのでここに記しておきます。
その先生がオランダに住んでらっしゃったときのこと。オランダでは、日本とはかなりシステムが違う。美術館や博物館は、入館する都度、料金を払うのではなく。4〜5000円で年間パスポートのようなものを購入すれば、いくらでも出入り自由だそうだ。この話しには、まぁ、納得はいく。美術館や博物館は有料であると私たちは当たり前に思っているし、こちらのシステムの方が、頻繁に利用しそうだ。
だが驚いたのはもうひとつの話。
なんと公立の図書館までも、この年間パスポート制だという。つまり、小額であっても、有料であるということだ。日本では、図書館はタダで入れるというのが普通だ。この制度は一見おかしい。
公立の図書館、つまり公共のサービスが有料なのである。日本では、公共のサービス=無料で受けられるサービスである。有料の公共サービスと無料の公共サービス。言葉だけで考えるなら、無料のほうが公共性のあるように思えるが、実情は違うそうだ。有料のオランダの図書館は、無料の日本の図書館よりも遥かに利用者が多いという。
お金を払うことによって、「利用しなけりゃもったいない」という心理が生まれるのか。お金を払うことによって、運営の一翼を担う気分が醸成されるのか。
いずれにせよ、ただ無料というだけでは、公共とは言えないのだ。有料のサービスの方が、結果として、より公共性を帯びている。
小さな政府への脱皮、福祉国家理念の揺らぎ・・・公共って、一体なんなのか。もう一度考え直すべきときなのではないか。

2010年5月4日火曜日

スフィンクスと侍たち

すっごい!と思う写真がある。どう考えてもこれはすっごい!と思う写真がある。何か著作権とかどうこうなっているのか知らないので、写真のアップは控えるけれども、その写真は1864年に撮影された。まだ日本に明治維新という革命が起こる前のこと。江戸幕府は欧州へ使節を派遣した(遣欧使節)。その際にエジプトにも立ち寄り、使節一行34名(だったかな?)揃ってパシャリ、というわけだ。僕がこの写真について持っている知識は、これっぽっちだ。どういう状況で撮影されたのかという詳細も、誰と誰が写っているのかはもちろん、どんな身分の人が写っているのかさえも知らない。もちろん、機会があれば知りたいとは思っているが。

ゴタク並べるのはこれくらいにして、と。

この写真は、どでかいスフィンクスの横顔をバックに、笠をかぶって羽織に袴、太刀を腰に差した侍たちがズラリと並んでいる。まずこのとてつもないアンバランスに、吹き出しそうになる。だが、ズラリ、というのは当たらない。そこまで整然と並んでいるわけでもない。顔を見合わせて会話している風情もうかがえるし、なぜか列から離れている人や、こともあろうにスフィンクスによじのぼっちゃっているお侍までいる。何かわけがあるのか、別に記念撮影というようなものでもなかったのか。このミステリー感にもまた、グッとくる。
しかししかし、こんなのはオマケに過ぎない。一番切実に思うのは、このスフィンクスを初めて目にした侍たちが、どんな感慨を持っただろうか、ということだ。僕はそれを思うたびに、微笑ましく感じたり、泣きそうになったり、まったく忙しい。うまく言葉にはできないけど、あの侍たちが敏感な、柔軟な心を持った人たちだったならば、激しく心を揺さぶられたに違いない。だがここで気をつけなければならばいことは、侍たちが黒船をみたり、産業革命を目の当たりにしたりするのと、この写真のようにスフィンクスを見るということは、根本的に意味が違う、ということだ。黒船や産業革命ならば、「あんなものを作りたい!」「俺たちにだってできるはずだ!」という進歩への思いを抱くことができる。対して、スフィンクスには、この侍たちは接近のしようがない。いくらすごいと思ったって、スフィンクス作りを目標にするわけにはいかないのだ。この巨大な石造物は、日本とはまったく異質なものなのだ。
今までまったく考えもしなかった、そんなものに出会ったときの感動を、我々は想像することができるだろうか。僕にはできない。つまるところ、そういうことだ。なんか、どでかいものを感じることができる。この写真からは。どでかい、果てしない何かを。そして、そんな思いを大切にしたい、と思う。まとめが具体性に欠けるので、続きはまた書きたいと思う。

2010年5月3日月曜日

休日嫌いという贅沢な病

GWも真ん中に。

休みの日、特に連休のときにいつも思うことがある。休日が好きになれない。どうしたわけか。というか、休日が苦手だ。いやいや、もっと正確には、迎える直前まで、休日のことは大好きだ。だが迎えてみるとやはり、休日よ早く去ってくれ、という心持ちになる。どうも、休日を上手に過ごすのが不得手とみえる。どんな気持ちで休日を過ごせば良いのだろう。
「せっかくの休日なんだから、何かしよう!」これはちょっと違う。「Aをしよう」と思った途端、そしてそれを実行しようとした途端、そのAはネガティヴな様相を帯びてしまう。「しよう」から「しなくてはならない」への、この変わり身。「Aをしなくてはならない」そう思った途端にAは面倒な、目障りな存在になってしまう。

「今日は何にもせずに、ごろごろしていよう」これはどうか。大体はオーケーだ。しかし、これは薬と同じで、やがては効き目が切れてしまう。切れるとどうなるか。「なんかしなければ」となってしまうのだ。惰眠を永遠に貪ることは、ごく普通の知識人ならば、不可能なことに違いない。「なんかしなければ」と思ったら、もう最後。「しなくてはならない」ことは大概、「したくない」ことなのだから。



人間はいっつも、いっつもそうだ。権利と義務、自由と束縛の間で、永遠に終わらないイタチごっこだ。そんなことを考えていると、「自分が本当にしたいことは何か」なんていう問に対する答えが、遥か彼方まですっとんでいってしまうように感じる。それ以前に、そんな問を立てること自体がムダなものなんじゃないかと思えてくる。本当にしたいこと、なんて、見つからないに決まっている。もし見つかったとしたら、それは何か他のものに対して盲目になった結果だ。他でもない自分自身に対して、目をつぶってしまっているのかもしれない。

私たちが本当にしたいこと、しなければならないこと、そんなものはもちろん、人によって異なるけれども、そんなもの、簡単に見つかるはずがないし、見つからない方が良いのではないかとさえ、考えている。誰だって柔らかく生きてるほうが楽しいはずだ。敢えて自分を縛る必要はないんじゃないか。「自分らしく」なんてホトホト呆れた。大いなる語義矛盾。曰く、「いつでも自分らしくない自分が、いつの自分よりも自分らしい」

2010年5月2日日曜日

働く

昨夜、四月から就職した友達が、GWで福岡にもどってきていて、彼らを囲んでの盛大な飲み会となった。こちとら22にもなって、まだまだ親のスネをかじりたおしている身分にて、自分の仕事で生活している彼らは、どうしたって大きく見えてしまうもの。
尊敬
感嘆
羨望
様々な感情がいそがしく脳内をかけめぐるのを尻目に、食って飲んで、口角泡を飛ばしてしゃべりちらし、大口あけて笑いころげ、それは楽しい夜だった。自分もはやく、あいつらみたいに立派にならなきゃ、そう思うのが妥当なところだが、この私のあまのじゃく、どうしようもなく。へんっ、働くってのがそんなにいいことかい?そんなに偉いことかい?なーんてヘソを曲げてしまうんであります。
馬鹿野郎!働くのは尊いことだ。この上なく尊いことなんだよ!そういう価値観を、今まで教え込まれてきた。事実、立派に日々の仕事をこなす彼らを前に、しきりに感心している人もいる。そんな中で、どこか冷めた頭の自分がいた。
近々の問題でいえば、俺は、知りたいことが多すぎる。あれも知りたい、これも知りたい、あれはどーなってんの?それとこれとはどーゆー関係で?で、あの人が考えてたのはつまりそういうこと?
つまるところ、本当のことは何?もしそんなものがないんなら、ないということを知れればいい。本当のことはなに?そう、真理とは?真理とは、真理がないということ?
俺は、働きたくない!とは言わない。より正確には、言えない。でももっと正確には、俺は、別に働かなくたっていい。ただ、本当のことを知れれば。また、俺は働きたい!とは思わない。より正確には、思いたくない。でももっと正確には、俺は、別に働いてもいい。それで、本当のことを知れるのなら。
ただ、本当のことを知りたい。余分なことを考えたくない。この眼を澄ませておきたい。この心を透明であらせたい。それは、自分という存在を、限りない安定状態に導いてゆくことに他ならぬ。
そういう問答なり、議論なり、自分の中に住むたくさんの自分がおおいにやっていく。そうして暫定的であれ、何らかの結論を共有したような状態。せめてそんな状態にならないと、その先のことは考えらんないなぁ、と。
馬鹿でしょうね、愚か者でしょうね、わたくし。甘ったれでしょうね、ゼイタクでしょうね、わたくし。そんなん、わかっとうっちゃん。一番手っ取り早いのは、そんな自分をブッ倒すことかもしれません。