GWも真ん中に。
休みの日、特に連休のときにいつも思うことがある。休日が好きになれない。どうしたわけか。というか、休日が苦手だ。いやいや、もっと正確には、迎える直前まで、休日のことは大好きだ。だが迎えてみるとやはり、休日よ早く去ってくれ、という心持ちになる。どうも、休日を上手に過ごすのが不得手とみえる。どんな気持ちで休日を過ごせば良いのだろう。
「せっかくの休日なんだから、何かしよう!」これはちょっと違う。「Aをしよう」と思った途端、そしてそれを実行しようとした途端、そのAはネガティヴな様相を帯びてしまう。「しよう」から「しなくてはならない」への、この変わり身。「Aをしなくてはならない」そう思った途端にAは面倒な、目障りな存在になってしまう。
「今日は何にもせずに、ごろごろしていよう」これはどうか。大体はオーケーだ。しかし、これは薬と同じで、やがては効き目が切れてしまう。切れるとどうなるか。「なんかしなければ」となってしまうのだ。惰眠を永遠に貪ることは、ごく普通の知識人ならば、不可能なことに違いない。「なんかしなければ」と思ったら、もう最後。「しなくてはならない」ことは大概、「したくない」ことなのだから。
人間はいっつも、いっつもそうだ。権利と義務、自由と束縛の間で、永遠に終わらないイタチごっこだ。そんなことを考えていると、「自分が本当にしたいことは何か」なんていう問に対する答えが、遥か彼方まですっとんでいってしまうように感じる。それ以前に、そんな問を立てること自体がムダなものなんじゃないかと思えてくる。本当にしたいこと、なんて、見つからないに決まっている。もし見つかったとしたら、それは何か他のものに対して盲目になった結果だ。他でもない自分自身に対して、目をつぶってしまっているのかもしれない。
私たちが本当にしたいこと、しなければならないこと、そんなものはもちろん、人によって異なるけれども、そんなもの、簡単に見つかるはずがないし、見つからない方が良いのではないかとさえ、考えている。誰だって柔らかく生きてるほうが楽しいはずだ。敢えて自分を縛る必要はないんじゃないか。「自分らしく」なんてホトホト呆れた。大いなる語義矛盾。曰く、「いつでも自分らしくない自分が、いつの自分よりも自分らしい」

0 件のコメント:
コメントを投稿