久々で研究室に泊まった。それも2連泊。
今週は本当に、本当に研究進めるのが滞った。というか、まだ始まったばかりで、うまいやりかたをつかめていないんだと思う。
要素を拾い集めて、カテゴライズして、さらにカテゴリー間の相関性まで探るとなると、これは時間がかかる。それに、映画というものを研究の媒体にしていると、やはり映画を見ないとはじまらない。
見ることに、一番時間がかかる。また、かなり昔の映画なので、モノクロで、俳優さんたちの顔も馴染みがぜんぜんなくって覚えられず、少々タイクツ。
研究室は、もう一人のメンバーも二日間ほぼ徹夜の状態で、夜通し一緒にいることになる。何か話すわけでもないが、こういうふうに同じ空気を吸うっていうことだけで、なんとなく絆のようなものを感じることができる。
こうして泊り込みで準備をしても、ゼミはいつもどおり、粛々と進む。
わがままかもしれないけど、無情、と思う。
2010年5月24日月曜日
2010年5月11日火曜日
はるかなるネーデルラント
先日、講義の中でオランダの話を聞かされて以来、オランダへ行きたいという思いが強まっている。
今まで、海外に行きたいとは思ったことがなかった。行く理由が見当たらなかったからだ。パスポートとか、面倒だし・・・。向こうで命を落とさないとも限らない。まぁ、そんなことは滅多にないのだろうが、身辺をまったく知らないという環境に身の危険を感じることは確かだ。ともあれ、死ぬ直前には白い米と味噌汁が食べたい。
そんな私が、オランダへ行きたくなった。ネーデルラントとは、オランダとその周辺地域を指す用語で、「低地の国々」という意味だそうだが、タイトルをネーデルラントとしたのは、なんとなく語呂がいいという理由だけだ。
私は一度も海外に行ったことがない。周りの友人たちからはしきりに、海外旅行をすすめられたり、誘われたりする。その度に、「日本もまだまだ捨てたもんじゃねぇよ」とか、「お金がなくって」などとはぐらかしてきた。実は面倒なだけなのだが。そんな私に、これは進歩の兆しか・・・!
オランダか、とふっと考える。そういえば私自身にとって、オランダという国はなぜか、幼いころから身近だった気がする。長崎にある、オランダを演出したテーマパーク「ハウステンボス」に、小さい頃よく連れて行ってもらったのだ。咲きほこるチューリップ、ゆっくり回る風車、運河のクルージング、そしておいしいチーズ(の試食)・・・もちろん、オランダに行けばその光景がそのままあるわけではない、ということくらい分かっている。それに、実際に聞かせてもらったオランダの話は、もっともっと魅力的だった。ワークシェアリングが非常にうまくいっていること、気温が30℃越えたら大学の授業が休講になること、学生はとても安い料金で国内の鉄道を乗り回せること、などなど。とにかく、日本よりも居心地が良さそうだ、と思っただけのことだ。
それはそうと、オランダという国は日本とつながりが深い。周知のように、鎖国中の日本と貿易をしていたヨーロッパ唯一の国なのだ。その関係かは知らないが、ライデン大学では日本の研究が特に盛んだそうである。かと言って、オランダ国中の人々がみんな、日本に理解があるというわけではないが。
ここで多少、自分の専門に話を引き付けると、オランダは、モダニズムの潮流において非常に重要な位置を占める芸術運動「デ・ステイル」発祥の地である。ドゥースブルフ、モンドリアン、そしてリートフェルトなど、巨匠たちが星の如く出た。水平と垂直、赤青黄の美学・・・それはまさしく、機会の時代、産業の時代の美学をもっとも先端的に表現したものだったろう。デ・ステイルが、ある時期以降のバウハウスの活動方針を決定づけたのは有名だ。
オランダの国土は、ほとんどがポルダーと呼ばれる干拓地だそうだ。まさに、自分たちで国をつくりあげてきたのだ。国「家」ではなく、国「土」を。人工の大地(と言っても、日本の埋め立て地のような味気ないものではないし、もっと歴史のあるものだが)の上で暮らす彼らは、どんな気持ちだろうか。
以上、オランダについての断章のようなかたちになった。
今まで、海外に行きたいとは思ったことがなかった。行く理由が見当たらなかったからだ。パスポートとか、面倒だし・・・。向こうで命を落とさないとも限らない。まぁ、そんなことは滅多にないのだろうが、身辺をまったく知らないという環境に身の危険を感じることは確かだ。ともあれ、死ぬ直前には白い米と味噌汁が食べたい。
そんな私が、オランダへ行きたくなった。ネーデルラントとは、オランダとその周辺地域を指す用語で、「低地の国々」という意味だそうだが、タイトルをネーデルラントとしたのは、なんとなく語呂がいいという理由だけだ。
私は一度も海外に行ったことがない。周りの友人たちからはしきりに、海外旅行をすすめられたり、誘われたりする。その度に、「日本もまだまだ捨てたもんじゃねぇよ」とか、「お金がなくって」などとはぐらかしてきた。実は面倒なだけなのだが。そんな私に、これは進歩の兆しか・・・!
オランダか、とふっと考える。そういえば私自身にとって、オランダという国はなぜか、幼いころから身近だった気がする。長崎にある、オランダを演出したテーマパーク「ハウステンボス」に、小さい頃よく連れて行ってもらったのだ。咲きほこるチューリップ、ゆっくり回る風車、運河のクルージング、そしておいしいチーズ(の試食)・・・もちろん、オランダに行けばその光景がそのままあるわけではない、ということくらい分かっている。それに、実際に聞かせてもらったオランダの話は、もっともっと魅力的だった。ワークシェアリングが非常にうまくいっていること、気温が30℃越えたら大学の授業が休講になること、学生はとても安い料金で国内の鉄道を乗り回せること、などなど。とにかく、日本よりも居心地が良さそうだ、と思っただけのことだ。
それはそうと、オランダという国は日本とつながりが深い。周知のように、鎖国中の日本と貿易をしていたヨーロッパ唯一の国なのだ。その関係かは知らないが、ライデン大学では日本の研究が特に盛んだそうである。かと言って、オランダ国中の人々がみんな、日本に理解があるというわけではないが。
ここで多少、自分の専門に話を引き付けると、オランダは、モダニズムの潮流において非常に重要な位置を占める芸術運動「デ・ステイル」発祥の地である。ドゥースブルフ、モンドリアン、そしてリートフェルトなど、巨匠たちが星の如く出た。水平と垂直、赤青黄の美学・・・それはまさしく、機会の時代、産業の時代の美学をもっとも先端的に表現したものだったろう。デ・ステイルが、ある時期以降のバウハウスの活動方針を決定づけたのは有名だ。
オランダの国土は、ほとんどがポルダーと呼ばれる干拓地だそうだ。まさに、自分たちで国をつくりあげてきたのだ。国「家」ではなく、国「土」を。人工の大地(と言っても、日本の埋め立て地のような味気ないものではないし、もっと歴史のあるものだが)の上で暮らす彼らは、どんな気持ちだろうか。
以上、オランダについての断章のようなかたちになった。
2010年5月9日日曜日
「公共」とは・・・
ある先生が講義で話していたことで、思うところあったのでここに記しておきます。
その先生がオランダに住んでらっしゃったときのこと。オランダでは、日本とはかなりシステムが違う。美術館や博物館は、入館する都度、料金を払うのではなく。4〜5000円で年間パスポートのようなものを購入すれば、いくらでも出入り自由だそうだ。この話しには、まぁ、納得はいく。美術館や博物館は有料であると私たちは当たり前に思っているし、こちらのシステムの方が、頻繁に利用しそうだ。
だが驚いたのはもうひとつの話。
なんと公立の図書館までも、この年間パスポート制だという。つまり、小額であっても、有料であるということだ。日本では、図書館はタダで入れるというのが普通だ。この制度は一見おかしい。
公立の図書館、つまり公共のサービスが有料なのである。日本では、公共のサービス=無料で受けられるサービスである。有料の公共サービスと無料の公共サービス。言葉だけで考えるなら、無料のほうが公共性のあるように思えるが、実情は違うそうだ。有料のオランダの図書館は、無料の日本の図書館よりも遥かに利用者が多いという。
お金を払うことによって、「利用しなけりゃもったいない」という心理が生まれるのか。お金を払うことによって、運営の一翼を担う気分が醸成されるのか。
いずれにせよ、ただ無料というだけでは、公共とは言えないのだ。有料のサービスの方が、結果として、より公共性を帯びている。
小さな政府への脱皮、福祉国家理念の揺らぎ・・・公共って、一体なんなのか。もう一度考え直すべきときなのではないか。
その先生がオランダに住んでらっしゃったときのこと。オランダでは、日本とはかなりシステムが違う。美術館や博物館は、入館する都度、料金を払うのではなく。4〜5000円で年間パスポートのようなものを購入すれば、いくらでも出入り自由だそうだ。この話しには、まぁ、納得はいく。美術館や博物館は有料であると私たちは当たり前に思っているし、こちらのシステムの方が、頻繁に利用しそうだ。
だが驚いたのはもうひとつの話。
なんと公立の図書館までも、この年間パスポート制だという。つまり、小額であっても、有料であるということだ。日本では、図書館はタダで入れるというのが普通だ。この制度は一見おかしい。
公立の図書館、つまり公共のサービスが有料なのである。日本では、公共のサービス=無料で受けられるサービスである。有料の公共サービスと無料の公共サービス。言葉だけで考えるなら、無料のほうが公共性のあるように思えるが、実情は違うそうだ。有料のオランダの図書館は、無料の日本の図書館よりも遥かに利用者が多いという。
お金を払うことによって、「利用しなけりゃもったいない」という心理が生まれるのか。お金を払うことによって、運営の一翼を担う気分が醸成されるのか。
いずれにせよ、ただ無料というだけでは、公共とは言えないのだ。有料のサービスの方が、結果として、より公共性を帯びている。
小さな政府への脱皮、福祉国家理念の揺らぎ・・・公共って、一体なんなのか。もう一度考え直すべきときなのではないか。
2010年5月4日火曜日
スフィンクスと侍たち
すっごい!と思う写真がある。どう考えてもこれはすっごい!と思う写真がある。何か著作権とかどうこうなっているのか知らないので、写真のアップは控えるけれども、その写真は1864年に撮影された。まだ日本に明治維新という革命が起こる前のこと。江戸幕府は欧州へ使節を派遣した(遣欧使節)。その際にエジプトにも立ち寄り、使節一行34名(だったかな?)揃ってパシャリ、というわけだ。僕がこの写真について持っている知識は、これっぽっちだ。どういう状況で撮影されたのかという詳細も、誰と誰が写っているのかはもちろん、どんな身分の人が写っているのかさえも知らない。もちろん、機会があれば知りたいとは思っているが。
ゴタク並べるのはこれくらいにして、と。
この写真は、どでかいスフィンクスの横顔をバックに、笠をかぶって羽織に袴、太刀を腰に差した侍たちがズラリと並んでいる。まずこのとてつもないアンバランスに、吹き出しそうになる。だが、ズラリ、というのは当たらない。そこまで整然と並んでいるわけでもない。顔を見合わせて会話している風情もうかがえるし、なぜか列から離れている人や、こともあろうにスフィンクスによじのぼっちゃっているお侍までいる。何かわけがあるのか、別に記念撮影というようなものでもなかったのか。このミステリー感にもまた、グッとくる。
しかししかし、こんなのはオマケに過ぎない。一番切実に思うのは、このスフィンクスを初めて目にした侍たちが、どんな感慨を持っただろうか、ということだ。僕はそれを思うたびに、微笑ましく感じたり、泣きそうになったり、まったく忙しい。うまく言葉にはできないけど、あの侍たちが敏感な、柔軟な心を持った人たちだったならば、激しく心を揺さぶられたに違いない。だがここで気をつけなければならばいことは、侍たちが黒船をみたり、産業革命を目の当たりにしたりするのと、この写真のようにスフィンクスを見るということは、根本的に意味が違う、ということだ。黒船や産業革命ならば、「あんなものを作りたい!」「俺たちにだってできるはずだ!」という進歩への思いを抱くことができる。対して、スフィンクスには、この侍たちは接近のしようがない。いくらすごいと思ったって、スフィンクス作りを目標にするわけにはいかないのだ。この巨大な石造物は、日本とはまったく異質なものなのだ。
今までまったく考えもしなかった、そんなものに出会ったときの感動を、我々は想像することができるだろうか。僕にはできない。つまるところ、そういうことだ。なんか、どでかいものを感じることができる。この写真からは。どでかい、果てしない何かを。そして、そんな思いを大切にしたい、と思う。まとめが具体性に欠けるので、続きはまた書きたいと思う。
ゴタク並べるのはこれくらいにして、と。
この写真は、どでかいスフィンクスの横顔をバックに、笠をかぶって羽織に袴、太刀を腰に差した侍たちがズラリと並んでいる。まずこのとてつもないアンバランスに、吹き出しそうになる。だが、ズラリ、というのは当たらない。そこまで整然と並んでいるわけでもない。顔を見合わせて会話している風情もうかがえるし、なぜか列から離れている人や、こともあろうにスフィンクスによじのぼっちゃっているお侍までいる。何かわけがあるのか、別に記念撮影というようなものでもなかったのか。このミステリー感にもまた、グッとくる。
しかししかし、こんなのはオマケに過ぎない。一番切実に思うのは、このスフィンクスを初めて目にした侍たちが、どんな感慨を持っただろうか、ということだ。僕はそれを思うたびに、微笑ましく感じたり、泣きそうになったり、まったく忙しい。うまく言葉にはできないけど、あの侍たちが敏感な、柔軟な心を持った人たちだったならば、激しく心を揺さぶられたに違いない。だがここで気をつけなければならばいことは、侍たちが黒船をみたり、産業革命を目の当たりにしたりするのと、この写真のようにスフィンクスを見るということは、根本的に意味が違う、ということだ。黒船や産業革命ならば、「あんなものを作りたい!」「俺たちにだってできるはずだ!」という進歩への思いを抱くことができる。対して、スフィンクスには、この侍たちは接近のしようがない。いくらすごいと思ったって、スフィンクス作りを目標にするわけにはいかないのだ。この巨大な石造物は、日本とはまったく異質なものなのだ。
今までまったく考えもしなかった、そんなものに出会ったときの感動を、我々は想像することができるだろうか。僕にはできない。つまるところ、そういうことだ。なんか、どでかいものを感じることができる。この写真からは。どでかい、果てしない何かを。そして、そんな思いを大切にしたい、と思う。まとめが具体性に欠けるので、続きはまた書きたいと思う。
2010年5月3日月曜日
休日嫌いという贅沢な病
GWも真ん中に。
休みの日、特に連休のときにいつも思うことがある。休日が好きになれない。どうしたわけか。というか、休日が苦手だ。いやいや、もっと正確には、迎える直前まで、休日のことは大好きだ。だが迎えてみるとやはり、休日よ早く去ってくれ、という心持ちになる。どうも、休日を上手に過ごすのが不得手とみえる。どんな気持ちで休日を過ごせば良いのだろう。
「せっかくの休日なんだから、何かしよう!」これはちょっと違う。「Aをしよう」と思った途端、そしてそれを実行しようとした途端、そのAはネガティヴな様相を帯びてしまう。「しよう」から「しなくてはならない」への、この変わり身。「Aをしなくてはならない」そう思った途端にAは面倒な、目障りな存在になってしまう。
「今日は何にもせずに、ごろごろしていよう」これはどうか。大体はオーケーだ。しかし、これは薬と同じで、やがては効き目が切れてしまう。切れるとどうなるか。「なんかしなければ」となってしまうのだ。惰眠を永遠に貪ることは、ごく普通の知識人ならば、不可能なことに違いない。「なんかしなければ」と思ったら、もう最後。「しなくてはならない」ことは大概、「したくない」ことなのだから。
人間はいっつも、いっつもそうだ。権利と義務、自由と束縛の間で、永遠に終わらないイタチごっこだ。そんなことを考えていると、「自分が本当にしたいことは何か」なんていう問に対する答えが、遥か彼方まですっとんでいってしまうように感じる。それ以前に、そんな問を立てること自体がムダなものなんじゃないかと思えてくる。本当にしたいこと、なんて、見つからないに決まっている。もし見つかったとしたら、それは何か他のものに対して盲目になった結果だ。他でもない自分自身に対して、目をつぶってしまっているのかもしれない。
私たちが本当にしたいこと、しなければならないこと、そんなものはもちろん、人によって異なるけれども、そんなもの、簡単に見つかるはずがないし、見つからない方が良いのではないかとさえ、考えている。誰だって柔らかく生きてるほうが楽しいはずだ。敢えて自分を縛る必要はないんじゃないか。「自分らしく」なんてホトホト呆れた。大いなる語義矛盾。曰く、「いつでも自分らしくない自分が、いつの自分よりも自分らしい」
休みの日、特に連休のときにいつも思うことがある。休日が好きになれない。どうしたわけか。というか、休日が苦手だ。いやいや、もっと正確には、迎える直前まで、休日のことは大好きだ。だが迎えてみるとやはり、休日よ早く去ってくれ、という心持ちになる。どうも、休日を上手に過ごすのが不得手とみえる。どんな気持ちで休日を過ごせば良いのだろう。
「せっかくの休日なんだから、何かしよう!」これはちょっと違う。「Aをしよう」と思った途端、そしてそれを実行しようとした途端、そのAはネガティヴな様相を帯びてしまう。「しよう」から「しなくてはならない」への、この変わり身。「Aをしなくてはならない」そう思った途端にAは面倒な、目障りな存在になってしまう。
「今日は何にもせずに、ごろごろしていよう」これはどうか。大体はオーケーだ。しかし、これは薬と同じで、やがては効き目が切れてしまう。切れるとどうなるか。「なんかしなければ」となってしまうのだ。惰眠を永遠に貪ることは、ごく普通の知識人ならば、不可能なことに違いない。「なんかしなければ」と思ったら、もう最後。「しなくてはならない」ことは大概、「したくない」ことなのだから。
人間はいっつも、いっつもそうだ。権利と義務、自由と束縛の間で、永遠に終わらないイタチごっこだ。そんなことを考えていると、「自分が本当にしたいことは何か」なんていう問に対する答えが、遥か彼方まですっとんでいってしまうように感じる。それ以前に、そんな問を立てること自体がムダなものなんじゃないかと思えてくる。本当にしたいこと、なんて、見つからないに決まっている。もし見つかったとしたら、それは何か他のものに対して盲目になった結果だ。他でもない自分自身に対して、目をつぶってしまっているのかもしれない。
私たちが本当にしたいこと、しなければならないこと、そんなものはもちろん、人によって異なるけれども、そんなもの、簡単に見つかるはずがないし、見つからない方が良いのではないかとさえ、考えている。誰だって柔らかく生きてるほうが楽しいはずだ。敢えて自分を縛る必要はないんじゃないか。「自分らしく」なんてホトホト呆れた。大いなる語義矛盾。曰く、「いつでも自分らしくない自分が、いつの自分よりも自分らしい」
2010年5月2日日曜日
働く
昨夜、四月から就職した友達が、GWで福岡にもどってきていて、彼らを囲んでの盛大な飲み会となった。こちとら22にもなって、まだまだ親のスネをかじりたおしている身分にて、自分の仕事で生活している彼らは、どうしたって大きく見えてしまうもの。
尊敬
感嘆
羨望
様々な感情がいそがしく脳内をかけめぐるのを尻目に、食って飲んで、口角泡を飛ばしてしゃべりちらし、大口あけて笑いころげ、それは楽しい夜だった。自分もはやく、あいつらみたいに立派にならなきゃ、そう思うのが妥当なところだが、この私のあまのじゃく、どうしようもなく。へんっ、働くってのがそんなにいいことかい?そんなに偉いことかい?なーんてヘソを曲げてしまうんであります。
馬鹿野郎!働くのは尊いことだ。この上なく尊いことなんだよ!そういう価値観を、今まで教え込まれてきた。事実、立派に日々の仕事をこなす彼らを前に、しきりに感心している人もいる。そんな中で、どこか冷めた頭の自分がいた。
近々の問題でいえば、俺は、知りたいことが多すぎる。あれも知りたい、これも知りたい、あれはどーなってんの?それとこれとはどーゆー関係で?で、あの人が考えてたのはつまりそういうこと?
つまるところ、本当のことは何?もしそんなものがないんなら、ないということを知れればいい。本当のことはなに?そう、真理とは?真理とは、真理がないということ?
俺は、働きたくない!とは言わない。より正確には、言えない。でももっと正確には、俺は、別に働かなくたっていい。ただ、本当のことを知れれば。また、俺は働きたい!とは思わない。より正確には、思いたくない。でももっと正確には、俺は、別に働いてもいい。それで、本当のことを知れるのなら。
ただ、本当のことを知りたい。余分なことを考えたくない。この眼を澄ませておきたい。この心を透明であらせたい。それは、自分という存在を、限りない安定状態に導いてゆくことに他ならぬ。
そういう問答なり、議論なり、自分の中に住むたくさんの自分がおおいにやっていく。そうして暫定的であれ、何らかの結論を共有したような状態。せめてそんな状態にならないと、その先のことは考えらんないなぁ、と。
馬鹿でしょうね、愚か者でしょうね、わたくし。甘ったれでしょうね、ゼイタクでしょうね、わたくし。そんなん、わかっとうっちゃん。一番手っ取り早いのは、そんな自分をブッ倒すことかもしれません。
尊敬
感嘆
羨望
様々な感情がいそがしく脳内をかけめぐるのを尻目に、食って飲んで、口角泡を飛ばしてしゃべりちらし、大口あけて笑いころげ、それは楽しい夜だった。自分もはやく、あいつらみたいに立派にならなきゃ、そう思うのが妥当なところだが、この私のあまのじゃく、どうしようもなく。へんっ、働くってのがそんなにいいことかい?そんなに偉いことかい?なーんてヘソを曲げてしまうんであります。
馬鹿野郎!働くのは尊いことだ。この上なく尊いことなんだよ!そういう価値観を、今まで教え込まれてきた。事実、立派に日々の仕事をこなす彼らを前に、しきりに感心している人もいる。そんな中で、どこか冷めた頭の自分がいた。
近々の問題でいえば、俺は、知りたいことが多すぎる。あれも知りたい、これも知りたい、あれはどーなってんの?それとこれとはどーゆー関係で?で、あの人が考えてたのはつまりそういうこと?
つまるところ、本当のことは何?もしそんなものがないんなら、ないということを知れればいい。本当のことはなに?そう、真理とは?真理とは、真理がないということ?
俺は、働きたくない!とは言わない。より正確には、言えない。でももっと正確には、俺は、別に働かなくたっていい。ただ、本当のことを知れれば。また、俺は働きたい!とは思わない。より正確には、思いたくない。でももっと正確には、俺は、別に働いてもいい。それで、本当のことを知れるのなら。
ただ、本当のことを知りたい。余分なことを考えたくない。この眼を澄ませておきたい。この心を透明であらせたい。それは、自分という存在を、限りない安定状態に導いてゆくことに他ならぬ。
そういう問答なり、議論なり、自分の中に住むたくさんの自分がおおいにやっていく。そうして暫定的であれ、何らかの結論を共有したような状態。せめてそんな状態にならないと、その先のことは考えらんないなぁ、と。
馬鹿でしょうね、愚か者でしょうね、わたくし。甘ったれでしょうね、ゼイタクでしょうね、わたくし。そんなん、わかっとうっちゃん。一番手っ取り早いのは、そんな自分をブッ倒すことかもしれません。
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